管理とは、記録を残すことではない。

― 可視化がもたらす本当の意味 ―

「記録は残っています。」

そう言われて、安心してしまうことがある。

点検簿は整っている。
チェック欄は埋まっている。
保守履歴もファイルに綴じられている。

だが、それは本当に“管理”だろうか。

記録は、過去を示す。
しかし管理とは、未来を設計する行為である。

故障履歴があっても、
更新判断につながっていなければ意味はない。

点検記録があっても、
稼働率と結びついていなければ活かされない。

保守契約があっても、
費用対効果が検討されていなければ、
それは単なる支出である。

可視化とは、
「見えるようにすること」ではない。

意思決定に使える形に変換することだ。

数字が並んでいる状態と、
数字が語り始める状態は違う。

医療機器管理も同じである。

記録を整えることが目的になった瞬間、
管理は形式化する。

本当に必要なのは、

・データを横断的に整理すること
・経営判断と接続すること
・将来の更新計画に反映させること

つまり、
可視化とは“経営との対話装置”である。

管理とは、
保存ではなく設計である。

Why-T?

私たちは、
「残している」ことに満足して、
「活かしている」かを問うているだろうか。

医療安全は、誰が守るのか。

― 責任体制の可視化という視点 ―

医療安全は、全員で守るものだ。

その言葉に、異論はない。
しかし同時に、ひとつの疑問も残る。

“全員”とは、具体的に誰なのか。

責任が全体に広がるとき、
しばしばそれは曖昧になる。

事故が起きたとき、
トラブルが発生したとき、
私たちは原因を探す。

だがその前に問うべきことがある。

責任体制は、明確だっただろうか。

医療機器の安全管理も同じである。

点検は誰が行うのか。
記録はどこに残るのか。
更新判断は誰が決定するのか。
契約内容は誰が把握しているのか。

それらが個人の記憶や善意に委ねられているとき、
安全は「努力」で維持されているに過ぎない。

努力は尊い。
だが、努力は設計ではない。

医療安全を守るとは、
事故を防ぐことだけではない。

責任の所在を可視化し、
役割を定義し、
仕組みとして回る状態をつくること。

“誰かがやっているはず”という状態は、
安全とは呼べない。

医療安全は、
声の大きい人が守るものでも、
経験の長い人が守るものでもない。

設計された責任体制が守る。

Why-T?

私たちは本当に、
責任を「見える形」で置いているだろうか。