― 責任体制の可視化という視点 ―
医療安全は、全員で守るものだ。
その言葉に、異論はない。
しかし同時に、ひとつの疑問も残る。
“全員”とは、具体的に誰なのか。
責任が全体に広がるとき、
しばしばそれは曖昧になる。
事故が起きたとき、
トラブルが発生したとき、
私たちは原因を探す。
だがその前に問うべきことがある。
責任体制は、明確だっただろうか。
医療機器の安全管理も同じである。
点検は誰が行うのか。
記録はどこに残るのか。
更新判断は誰が決定するのか。
契約内容は誰が把握しているのか。
それらが個人の記憶や善意に委ねられているとき、
安全は「努力」で維持されているに過ぎない。
努力は尊い。
だが、努力は設計ではない。
医療安全を守るとは、
事故を防ぐことだけではない。
責任の所在を可視化し、
役割を定義し、
仕組みとして回る状態をつくること。
“誰かがやっているはず”という状態は、
安全とは呼べない。
医療安全は、
声の大きい人が守るものでも、
経験の長い人が守るものでもない。
設計された責任体制が守る。
Why-T?
私たちは本当に、
責任を「見える形」で置いているだろうか。
